あんたがたどこさの意味が怖いって知ってますか?歌詞をひらがな・漢字から読み解こう!熊本のどこの歌?発祥地の関係とは?他にも童話に隠れた怖い秘密を解明します
「あんたがたどこさ」の歌には、怖い意味が隠れているって知っていますか?
実は、生活苦で親に売られた子供たちの歌や飢餓(きが)により亡くなった子供を親が食べる歌なんではないかといわれています。
江戸時代に起こった飢餓(きが)が仮説の由来だといわれていますが、時代背景として貧富の差が激しかった頃とはいえ、なかなか気分のいい話ではないですね。
しかし、一番有力は新政府軍が徳川幕府を倒すことを意味した歌という説といわれています。
これから、「あんたがたどこさ」がなぜ怖い歌なのか歌詞から徹底解明していきましょう。また、私が気になった怖い童謡も紹介するので、お楽しみに♪
不思議なお話の世界に連れて行くよ。離れると連れていかれちゃうから、ちゃんとついてきてね♪
あんたがたどこさの歌詞をひらがなで紹介!怖い理由とは
「あんたがたどこさ」の歌を知っていますか?歌詞をひらがなで載せますね。
あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ |
くまもとさ くまもとどこさ せんばさ |
せんばやまには たぬきがおってさ |
それをりょうしが てっぽうでうってさ |
にてさ やいてさ くってさ |
それを このはで ちょいとかぶせ |
この中に怖い意味が隠されているといわれていますが、そういわれるわけとなった仮説が3つあります。
- 戊辰戦争時の新政府軍が徳川幕府を倒すことを意味した歌とする説
- 飢饉(ききん)による生活苦で親に売られた子供たちがお互いの出身地を訪ねる歌とする説
- 飢饉(ききん)による食糧難で親が亡くなった子供を食べる歌とする説
怖いといわれるわけは、この仮説の中にある「生活苦で親に売られた子供たちの歌」や「飢餓(きが)により亡くなった子供を親が食べる歌」が元だと思われます。
その仮説は時代背景として起こっていてもおかしくはないです。
ですが、仮説の中で1番有力視されているのは「戊辰戦争時の新政府軍が徳川幕府を倒すことを意味した歌とする説」となります。
「あんたがたどこさ」は作者がわかっていません。また、この歌が生まれた時代も江戸時代末期といわれていますが、すべてのことはあいまいな状態です。
都市伝説というのは、「人から人へ語り継いだものとされるうわさ話の1つで、根拠があいまいであったり不明だったりするもの」のことを言います。
この「あんたがたどこさ」に怖い意味がある話も、そんな話もあるんだぁっと話半分で聞いていただけたらいいかと思いますよ。
あんたがたどこさは熊本のどこの歌?歌詞から推測しましょう
「あんたがたどこさ」は、熊本県船場地区を発祥としたわらべ歌で、正式名は「肥後てまり唄」といいます。女の子がボールをつかって歌う「手まり歌」の1つです。
歌詞を漢字にするとより歌の意味が分かりやすくなるので、訳とあわせて見ていきましょう。
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ | あなたはどこからきたの?肥後の国だよ 肥後の国はどこにあるの? |
熊本さ 熊本どこさ 船場さ | 熊本藩です 熊本藩はどこ?船場だよ |
船場山にはたぬきがおってさ | 船場山にはたぬきがいるよ |
それを漁師が鉄砲で撃ってさ | そのたぬきを鉄砲で撃ってね |
にてさ やいてさ くってさ | にたりやいたりしてたべるんだよ |
それを木の葉でちょいとかぶせ | その食べた後の骨は木の葉で隠すんだよ |
こういう質問と答えで歌われているものを「問答歌(もんどうか)」といいます。
最初はどこからきたの~?っという問いから始まり、途中でたぬきを食べる話に変わるってなんか不思議ですよね。
徳川家康との関係
実はこのたぬきというのは、かの有名な「徳川家康」なのではないかといわれています。
徳川家康がたぬきと影で呼ばれていたのは有名な話ですが、見かけ的にたぬきっぽさがありますね。
実は性格も相当だったようです。それが納得できそうなちょっとしたエピソードがあります。
それは「方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)」です。
徳川家康の勧めもあり、豊臣秀頼が亡き秀吉の安泰を祈願した方広寺大仏殿の修復工事を始めます。
大仏殿が完成し開眼供養(かいがんくよう)の日が迫った頃、家康が鐘に刻まれた「国家安康」の文字が家康名を分断し豊臣家をたたえているととがめます。
秀頼側は家康の怒りを解くことを務めました。ですが、これを機に秀頼側の討滅(とうめつ)を考えた家康は無理難題を言い渡します。
それにより窮地に立たされた秀頼は意を決して兵をあげたのです。
これはのちに「大阪・冬の陣」のきっかけとなったといわれています。
現代では「たぬき」と呼ばれる意味は、優しい顔をして裏では腹黒い事をするような人のことを言います。
時代を作るような人の考え方は私にはわかりませんが、なんとなくたぬきと呼ばれているのは納得ですね。
歌詞の「たぬき」が徳川家康を意味するとしても、彼が生きた時代は戦国時代から江戸初期といわれています。
でも、徳川家康=徳川幕府と解釈したら、歌の時代背景としても問題なさそうですね。
ただ、徳川幕府が存在したのは、江戸(現在の東京都)であり、熊本県発祥とされる「あんたがたどこさ」とはあまりつながりません。
実は、戊辰戦争の頃に薩長(さっちょう)連合軍が倒幕運動のために、川越の仙波山に駐屯していたという話があります。
これをきくと、熊本発祥説がくつがえってきますね。次で詳しく説明します!!
あんたがたどこさの意味と船場の関係?発祥地はどこ?
「あんたがたどこさ」の発祥地には、熊本県ではなく埼玉県川越市ではないかという説があります。そういわれる由縁(ゆえん)はいくつかあります。
熊本に船場という地名や川はありますが、船場山はありません。
一説には熊本城付近の新町地区に城の堀を建設した時にあった土塁(どるい)を「せんば山」と呼んでいたという話があります。
もしかしたら、そこにたぬきがいたことから「あんたがたどこさ」の歌詞に描写されたのかもしれませんね。
また、熊本では以下のような歌詞も存在しています。
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ
熊本さ 熊本どこさ 船場さ
せんば川にはえびさがおってさ
それを漁師が網さで捕ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
引用:Wikipedia
九州の方では「それを木の葉でちょいとかぶせ」の部分が「うまさのさっさっさー」になっていたりするそうです。
実際、歌の舞台になっている船場橋の一帯でもこの「うまさのさっさっさー」で伝わっているらしくこれが原型ではといわれています。
なぜ、山が川になっているかというと、発祥地といわれる熊本城周辺には坪井川という川があり、これが洗馬川にあたります。
上流にはかつて熊本藩の厩(うまや)が置かれていたという話もあります。
発祥地といわれている熊本県内でさえもこのように色々な話が出てきます。かなりあいまいなのです。
「あんたがたどこさ」の船場とは、熊本県船場地区ではなく埼玉県川越市の仙波山(現在の日枝神社古墳付近)をさしているんではないかという説があります。
これは戊辰戦争の頃に薩長(さっちょう)連合軍が倒幕運動のために、川越の仙波山に駐屯していたことがつながっていると思われます。
また、川越の仙波山(現在の日枝神社古墳付近)には徳川家康を祀った「仙波東照宮」があります。
加えて、熊本発祥の歌詞なのに熊本弁ではなく関東なまりにちかいです。
そのことから、戊辰戦争時に薩長(さっちょう)連合軍が倒幕運動のために川越の仙波山に駐屯した際に地元の子供たちとの会話から生まれたといわれています。
歌詞の意味として、
- 「仙波山のたぬき」は仙波東照宮に祀られている徳川家康=徳川幕府
- 「漁師」は新政府軍
- 「鉄砲で撃ってさ」は徳川幕府を討つ
となり、新政府軍が徳川幕府を倒すことを意味した歌なんではないかといわれています。
ここまで共通点が出てくると、有力な説というのもわかる気がしますね。
赤い靴の女の子の歌詞や童謡に隠された怖い都市伝説
「あんたがたどこさ」の歌詞にある怖い意味についてお話してきましたが、そのように怖いといわれている童謡はほかにも多数あります。
たくさんあるので3つに絞って紹介します。
通りゃんせ
「あんたがたどこさ 意味 怖い」と検索するとあわせて出てくるのが、「通りゃんせ 意味 怖い」というキーワードです。歌詞はこちらです。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
この歌は「母親と子供が神社へ七五三のお礼参りに来た際に道の番人と思われるものとの会話を意味する」と言われてます。
背景として昔は今と違い飢餓(きが)により子供がうまれても十分育つことができない場合がありました。
子供が生まれたら体がしっかりとする7歳までは「神の子」とし、7歳まで成長したら「人間の子」となり、神様に子供の魂と体をこの世に定着する儀式を行います。
「人間の子」としてこれから自立して生きていかないといけないが、だんだんそれが恐ろしくなってきます。
それでも生きていかなければいけないというメッセージが含まれているんではないかといわれています。
「通りゃんせ」には仮説が色々あります。気になる方は調べてみると、色々わかりますよ。
あかいくつ
赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
横浜の はとばから 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに あうたびに 考える
歌詞から赤い靴をはいていた日本人の女の子が青い目の外人さんと船で旅立っていく話に読み取れますが、実はこの歌は人身売買ではないかといわれています。
この歌は明治時代に作られたものですが、当時は宣教師がヨーロッパ諸国の植民地支配を広げるために各国に偵察などの役割で訪れていました。
この異人さんというのは宣教師だったらしく、赤い靴の女の子は奴隷として売買され異国に旅立っていったんではないかという説があります。
また、この女の子は実在の人物の可能性が高く、時代背景とはいえ悲しい話なことがわかりますね。
しゃぼんだま
しゃぼんだま とんだ
やねまで とんだ
やねまでとんで こわれてきえた
しゃぼんだま きえた
とばずに きえた
うまれてすぐに こわれてきえた
かぜ かぜ ふくな
しゃぼんだま とばそ
この歌詞は「作詞家の子供の死」を意味しているといわれています。子供の頃は何も考えずに歌っていましたが、大人になってこの歌詞を読むと納得できますね。
私がこの説を知ったのは高校生の頃でした。そう思って改めて聞くと背筋がゾクッとしたのを覚えています。
この歌詞を書いた野口雨情さんは長女を生まれて7日で亡くしたそうです。
その事実を知ると、この説も信ぴょう性を増し、より悲しくなってきますよね。
童謡にまつわる怖い話はほんとたくさんあるから、興味がある人はぜひ調べてみるといいよー♪
まとめ
- 「あんたがたどこさ」には怖い意味が隠されていて、それは「生活苦で親に売られた子供たちの歌や飢餓(きが)により亡くなった子供を親が食べる歌」という説によるもの
- 一番の有力な説は、「戊辰戦争時に新政府軍が徳川幕府を倒幕することを意味した歌」
- 「あんたがたどこさ」の発祥地は熊本県ではなく、埼玉県川越市といわれている
- 他にも怖い意味があるといわれる童謡は多数存在する
事実も含まれている仮説をきくと、より信ぴょう性が増しほんとなのかなって思っちゃいますよね。
ですが、あくまでこれらすべては仮説の域を出ません。信じるか信じないかはあなた次第なのです。
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